天才モーツァルトの生涯

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)
1756年生まれ(オーストリア、ザルツブルク)、1791年没(ウィーン)
古典派クラシックの巨匠のひとりであり、ハイドン、ベートーベンと並び称される。
記憶力が高く、下書きをしない天才と呼ばれた。
交響曲第36番は3日で書き上げ、交響曲第39番から41番までは6週間で完成させている。


ザルツブルクの宮廷作曲家でヴァイオリニストだったレオポルト・モーツァルトが父親。モーツァルト自身も子供を6人もうけたが、4人が乳幼児のまま死んでしまい成人したのは2人。しかし、成人した2人の息子は子供を残さなかったため、モーツァルトの直系の子孫は現在いない。

容姿に関しては諸説あり、全てが推測の域を出ない。しかし、肖像画のような美しい容姿ではなかったとの見方が多い。有力な説は小男で肥満体型、丸鼻で近眼、天然痘の痕が多く、肖像画は著しく美化されたものと言われている。

性格は広く知られている通り、かなりの変わり者だったようだ。

数ヶ国語を使いこなすモーツァルトは、5ヶ国語に使い分けて友人や家族に手紙を書いたが、わけもなく世界の大陸や大洋の名前を列挙したり、文面に関係のない物語を突然展開させたりしている。

当時親しい者同士でスカトロジーにまつわる冗談を言い合うのは日常的だったことから、手紙にも排泄にまつわるダジャレを書きまくっている。

冗談が大好きだったらしく、依頼された曲を手渡す際に(相手は貴族)紙を床一面に並べて1枚1枚拾わせたというエピソードもある。

晩年には多額の借金があったが、理由としては浪費、ギャンブルによるものとの見方が大きい。
モーツァルトは派手好きで、高価な服を買い、豪勢な住宅を求めて引越しを繰り返した。ボウリングやビリヤードも趣味のひとつ。

幼少の頃から音楽に高い才能を示し、よりより就職先を見つけるため、父親とともにウィーン、パリ、ロンドン、イタリア各地を転々とした旅行生活を送る。しかし、就職活動はことごとく失敗。

25歳でウィーンに定住した後はフリーのミュージシャンとして活動。
演奏会、オペラ作曲、楽譜の出版、レッスンなどで生計を立てる。ピアニストとしての高い評価を得ていたが、レクイエムの作曲中に死亡。35歳の若さだった。

死因はリューマチによる高熱のためと言われているが諸説あり、サリエリによる毒殺説、妻コンスタンツェの毒殺説等。

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